「煽りの歴史」の版間の差分
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[[ファイル:煽りの歴史(古代).jpg|200px|thumb|right|鎌倉時代の煽りの様子を描いた絵巻物。1人のコテが、他板のスレに単身乗り込む様子が描かれている。]] | [[ファイル:煽りの歴史(古代).jpg|200px|thumb|right|鎌倉時代の煽りの様子を描いた絵巻物。1人のコテが、他板のスレに単身乗り込む様子が描かれている。]] | ||
煽りという概念は、13世紀の鎌倉時代に成立した「平家物語」の作中にその形跡を見ることができる。 | 煽りという概念は、13世紀の鎌倉時代に成立した「平家物語」の作中にその形跡を見ることができる。 | ||
''頃は正月二十一(にじふいち)日、 | |||
'' | 入相(いりあひ)ばかりのことなるに、 | ||
入相(いりあひ)ばかりのことなるに、 | 薄氷(うすごほり)は張つたりけり。 | ||
薄氷(うすごほり)は張つたりけり。 | 深田(ふかた)ありとも知らずして、 | ||
深田(ふかた)ありとも知らずして、 | 馬(むま)をざつと打ち入れたれば、 | ||
馬(むま)をざつと打ち入れたれば、 | 馬の頭(かしら)も見えざりけり。 | ||
馬の頭(かしら)も見えざりけり。 | 煽(あふ)れども煽れども、 | ||
煽(あふ)れども煽れども、 | 打てども打てども働かず。'' | ||
打てども打てども働かず。 | ([http://santalab.exblog.jp/19974944/ 平家物語「木曽最期」]より引用。) | ||
つまり本来の「煽る」とは、あぶみで馬の腹を蹴るという意味を持つ言葉であり、既に同時代にはそこから転じて「そそのかす」、「おだてる」という意味も持っていた。この時代から既に、日本の「煽り」の概念を窺い知ることが出来る。 | |||
== 昭和時代 == | == 昭和時代 == |
2015年9月2日 (水) 13:12時点における最新版
ここでは、2ちゃんねるにおいて一般的に「相手を誹謗中傷・挑発する行為」を指す、
煽りの歴史について記述する。
鎌倉時代
煽りという概念は、13世紀の鎌倉時代に成立した「平家物語」の作中にその形跡を見ることができる。
頃は正月二十一(にじふいち)日、 入相(いりあひ)ばかりのことなるに、 薄氷(うすごほり)は張つたりけり。 深田(ふかた)ありとも知らずして、 馬(むま)をざつと打ち入れたれば、 馬の頭(かしら)も見えざりけり。 煽(あふ)れども煽れども、 打てども打てども働かず。 (平家物語「木曽最期」より引用。)
つまり本来の「煽る」とは、あぶみで馬の腹を蹴るという意味を持つ言葉であり、既に同時代にはそこから転じて「そそのかす」、「おだてる」という意味も持っていた。この時代から既に、日本の「煽り」の概念を窺い知ることが出来る。
昭和時代
それから700年の時が流れ、世界は第二次世界大戦と突入した。
その際に「プロパガンダ」という言葉で世界各国で使用されたのが、煽りである。
「煽り」によって、世界の多くの人々が戦争への衝動に駆られ、戦い、死んでいった。
煽りは大多数の人間を扇動する事も、その人々の命をも奪う事も出来る、という事を知らしめた事例であった。
ネット創成期
更に時は流れ、時代はインターネットという新たな発明品が世界へ普及する世の中となった。 その時代の流れは当然ながら日本にも渡来し、昭和末期から平成初期にかけて、日本でのネット文化が広まることとなった。
1990年代後半になると、インターネット独自の文化は次第に発達していく事となる。 そして、2ちゃんねるやあめぞうよりも更に前の時代、『あやしいわーるど』の界隈において、次のような言葉が使わるようになった。
3月のLNB騒動を速やかに終結させ、 あやしい@池袋を煽りから守った。
~ぁゃιぃ Walkerより引用~
この書き込み時が1998年5月22日。 2ちゃんねる開設がその1年後の1999年5月30日であるから、少なくとも2ちゃんねる以前の時代から『煽り』というスラングは確かに存在していた事になる。 ただし、ネット文化創成期の『霊魂ch』(1995~1997)においては、煽りというワードは確認できていない事から、おそらく1997~1998年の辺りに成立した可能性が高い。
この時すでに煽りとは、「悪意のある荒らし」という意味を含む(現在のニュアンスに近い)言葉となっていた。
現代
そして、現代。 今では、数百を超える煽りコテが、2ちゃんねる内で己の尊厳と哲学のために戦っている。