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また、活動初期は[[拓也軍団]]の総司令官を勤め、名無しに対して苛烈な煽りを繰り返していた。<br> | また、活動初期は[[拓也軍団]]の総司令官を勤め、名無しに対して苛烈な煽りを繰り返していた。<br> | ||
軍団屈指の煽りコテとして活躍していたが、2015年9月に勃発した[[魚群戦争]] | 軍団屈指の煽りコテとして活躍していたが、2015年9月に勃発した[[魚群戦争]]で惨敗。敗軍の将として責任を問われ、破門を宣告されてしまう([[拓也軍団幹部によるおんJ侵攻]])。<br> | ||
失脚後はインターネット各地を放浪した後に人知れず引退を宣言。かつて栄華を極めた男の惨憺たる末路であった。 | |||
==人物== | ==人物== | ||
精神的な闇を抱えたアダルトチルドレンである。陰惨な生育歴との関連は定かではないが、最終学歴は高卒に甘んじている。しかしIQは平均以上の高い数値(全検査567)を叩き出しており、本人は「生育環境がもうちょいマシだったらオックスフォード大学に合格していたはずの真の天才」とネタ混じりに憐情を語っている。 | |||
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以下は、彼自身がリバタリアニズムについて簡便的に解説している文章である。<br> | 以下は、彼自身がリバタリアニズムについて簡便的に解説している文章である。<br> | ||
5:スレイマン:平成31年 02/22(金)20:45:19 ID:vtm 主 ×<br> | 5:スレイマン:平成31年 02/22(金)20:45:19 ID:vtm 主 ×<br> | ||
【国家観】<br> | 【国家観】<br> | ||
リバタリアンが理想とする国家とは、あくまで市民に奉仕するための無機的なシステムであり、最小限の公共財と福祉サービスの提供に役割は制限される。<br> | リバタリアンが理想とする国家とは、あくまで市民に奉仕するための無機的なシステムであり、最小限の公共財と福祉サービスの提供に役割は制限される。<br> | ||
国家規模と法規制の範囲は出来る限り縮小されることが望ましく、一元的なイデオロギーによって国民の思想が強制的に統合されることを忌避する。<br> | 国家規模と法規制の範囲は出来る限り縮小されることが望ましく、一元的なイデオロギーによって国民の思想が強制的に統合されることを忌避する。<br> | ||
しかしその一方で、リバタリアンは思想情念の自由を最大限に尊重する政治哲学であるため、諸個人が自らの意思で国粋主義的な活動を行うことには寛容である。自らの意思が反映されたものであれば、人々がもつ愛国心や郷土愛を否定することも無い。<br> | しかしその一方で、リバタリアンは思想情念の自由を最大限に尊重する政治哲学であるため、諸個人が自らの意思で国粋主義的な活動を行うことには寛容である。自らの意思が反映されたものであれば、人々がもつ愛国心や郷土愛を否定することも無い。<br> | ||
そして、家族や職能集団をはじめとした共同体が、人々が幸福に生きる上でかけがえのない重要性があることを認め、諸個人が愛着をもち、精神的に帰属する集団は、個々が自由に決めることが許されている。<br> | そして、家族や職能集団をはじめとした共同体が、人々が幸福に生きる上でかけがえのない重要性があることを認め、諸個人が愛着をもち、精神的に帰属する集団は、個々が自由に決めることが許されている。<br> | ||
しかし、それらの活動は民間による自助努力によって完遂されるべきであり、国政は介在すべきではないと考える。国政はあくまで中立的な立場を堅持するべきであり、特定集団に対する優遇処置は認めない。<br> | しかし、それらの活動は民間による自助努力によって完遂されるべきであり、国政は介在すべきではないと考える。国政はあくまで中立的な立場を堅持するべきであり、特定集団に対する優遇処置は認めない。<br> | ||
また、リバタリアンは政治におけるナショナリズムの採用に否定的な見解を崩さない。よって、「民族自決」や「民族統一」といった主義主張にも反対する。それらのスローガンは、強制を伴う民族に対する忠誠心を促し、国民の自由を脅かす恐れがあると捉えるからである。<br> | また、リバタリアンは政治におけるナショナリズムの採用に否定的な見解を崩さない。よって、「民族自決」や「民族統一」といった主義主張にも反対する。それらのスローガンは、強制を伴う民族に対する忠誠心を促し、国民の自由を脅かす恐れがあると捉えるからである。<br> | ||
民族や歴史や文化からも切り離された無味乾燥なシステムとして、市民社会の維持に必要最小限の機能を満たすことを希求する。それこそがリバタリアンの国家観である。リバタリアンが関心を注ぐのは、国家ではなく諸個人なのである。<br> | 民族や歴史や文化からも切り離された無味乾燥なシステムとして、市民社会の維持に必要最小限の機能を満たすことを希求する。それこそがリバタリアンの国家観である。リバタリアンが関心を注ぐのは、国家ではなく諸個人なのである。<br> | ||
===経済観=== | ===経済観=== |
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