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「スレイマン一世」の版間の差分

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人間にあるべき天賦の権利として自己所有権を仮定し、そこから逆算して自由を規定する方法論(自然権的リバタリアン)とは距離を置く。ただ、自然権を国家権力に対して上位の概念とする発想そのものには肯定的であり、上述の通り自己所有権の重要性に関しては見解が一致している。要するに、リバタリアニズムの根拠たるものが「経済的功利主義」なのか、それとも「自然権」なのか、そこで両者のすれ違いが見られるのである。<br>
人間にあるべき天賦の権利として自己所有権を仮定し、そこから逆算して自由を規定する方法論(自然権的リバタリアン)とは距離を置く。ただ、自然権を国家権力に対して上位の概念とする発想そのものには肯定的であり、上述の通り自己所有権の重要性に関しては見解が一致している。要するに、リバタリアニズムの根拠たるものが「経済的功利主義」なのか、それとも「自然権」なのか、そこで両者のすれ違いが見られるのである。<br>
無政府主義を標榜するアナーキズムは「ガイジの理論」として支持しない。ロバート・ノージックを中心とする最小国家論に対しても生存権が脅かされる可能性があるとして懐疑的である。このように、リバタリアニズムの中において比較的穏健的な主張をすることに彼の特徴がみられる。<br>
無政府主義を標榜するアナーキズムは「ガイジの理論」として支持しない。ロバート・ノージックを中心とする最小国家論に対しても生存権が脅かされる可能性があるとして懐疑的である。このように、リバタリアニズムの中において比較的穏健的な主張をすることに彼の特徴がみられる。<br>
以下は、彼自身がリバタリアニズムについて簡便的に解説している文章である。<br>
5:スレイマン:平成31年 02/22(金)20:45:19 ID:vtm 主 ×<br>
【国家観】<br>
リバタリアンが理想とする国家とは、あくまで市民に奉仕するための無機的なシステムであり、最小限の公共財と福祉サービスの提供に役割は制限される。<br>
国家規模と法規制の範囲は出来る限り縮小されることが望ましく、一元的なイデオロギーによって国民の思想が強制的に統合されることを忌避する。<br>
しかしその一方で、リバタリアンは思想情念の自由を最大限に尊重する政治哲学であるため、諸個人が自らの意思で国粋主義的な活動を行うことには寛容である。自らの意思が反映されたものであれば、人々がもつ愛国心や郷土愛を否定することも無い。<br>
そして、家族や職能集団をはじめとした共同体が、人々が幸福に生きる上でかけがえのない重要性があることを認め、諸個人が愛着をもち、精神的に帰属する集団は、個々が自由に決めることが許されている。<br>
しかし、それらの活動は民間による自助努力によって完遂されるべきであり、国政は介在すべきではないと考える。国政はあくまで中立的な立場を堅持するべきであり、特定集団に対する優遇処置は認めない。<br>
また、リバタリアンは政治におけるナショナリズムの採用に否定的な見解を崩さない。よって、「民族自決」や「民族統一」といった主義主張にも反対する。それらのスローガンは、強制を伴う民族に対する忠誠心を促し、国民の自由を脅かす恐れがあると捉えるからである。<br>
民族や歴史や文化からも切り離された無味乾燥なシステムとして、市民社会の維持に必要最小限の機能を満たすことを希求する。それこそがリバタリアンの国家観である。リバタリアンが関心を注ぐのは、国家ではなく諸個人なのである。<br>


===経済観===
===経済観===
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