煽りの質量

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煽り(言葉)の質量を表した簡略的なイメージ。

煽りの質量(あおりのしつりょう)とは、2017年に議論された哲学的テーマの一つ、またはそれにおける思考実験。煽り、すなわち言葉の暴力に質量は存在するか?という議題である。テーマを拡大して言葉の質量とする場合もある。

なお、このテーマにおける質量とは言葉自体の重量(何キロであるとか、何リットルであるか等)ではなく、「言葉そのものに重みはあるのか?」であり、

  • 我々が言葉の重みを感じる時、言葉を発する側、受け取る側の心象や状態によって左右されうるものであるのか?
  • 言葉には相手に心理的な影響を与える「質量」が存在するのか?

についてがこの哲学的テーマの言わんとしている本質である。

概説

言葉の伝わる仕組みについて考えてみよう。会話の場合、ヒトの脳から指令が発せられ、声帯が振動し、振動が受け手の耳介を通して蝸牛へ伝わり、蝸牛内に存在する有毛細胞で電気の信号に変換され、神経を通して大脳の聴覚中枢へと伝わり、受け手の脳が言葉を理解する。真ん中の部分こそ違うもののインターネットにおいても同様の仕組みであり、「ヒトの脳から指令が発せられ、その電気信号が(パソコン、通信ケーブル、液晶画面などの媒体を用いて)受け手の脳に伝わり、言葉を理解する」という点で会話となんら変わりはない。しかし、その際の言葉の語彙、喋り手の口調、受け手の心象などによって、言葉の与える心理的影響(いわゆる「言葉の重み」)は様々に変化する。

思考実験

男性Aを部屋の中央に座らせ、女性B、女性Cを部屋の外で待機させる。なお、女性Bは男性Aとは会った事も話した事もない人物であり、女性Cは男性Aと仲睦まじく交際している恋人である。まず女性Bが部屋に入り、男性Aに「死ね」と告げ、部屋を出ていく。次に女性Cも同様に、部屋に入って「死ね」という言葉を浴びせ、部屋を出ていく。この時にAの中で、B、Cの発した「死ね」に対する感じ方に違いはあっただろうか?もし男性Aの中で違いを感じるとしたら、いったい何がその違いを感じさせたのだろうか?

次に、思考実験の方法を変える。男性Aは机のPCを見た状態で部屋の中に待機させられており、PCにはチャット画面(書き込んだ名前と、内容文)しか出ないものとする。まず、女性Bが「女性C」と名乗り、「死ね」と書き込みをする。次に女性Cが「女性B」と名乗り、同じように「死ね」と書き込む。この時、男性はどちらの方に心理的な影響を受けやすいだろうか?

質量の存在の証明

上記の思考実験で結論付けられるのは「言葉の重みは発言する喋り手と受け手の関係に依存する」という点であろう。仮に男性Aと女性Cの間に付加情報(交際をしている、相手の嗜好や身分、性格を知っている…etc.)がなかった場合、男性Aが感じる心象は女性Bのそれと何ら変わらないと考えられる。

エルティーはこれを論拠として、2017年1月に「煽り(言葉)自体そのものには質量は存在せず、煽り(言葉)を発する人間自身に重みが存在している」と述べた[1]。つまり言葉とは一種の記号であり、それを発する側の人間性や性格によって重みが有機的に変動するものだと唱えた。

これに対してプラネットヤクザ金髪幼女は「質量はその他の要素(たとえば語彙、その組み合わせ、そしてその発言の根拠など)にも左右される」とした[2]。この考え方は他のサイトでも唱えられている学説である[3][注釈 1]。つまり質量とは発言者や受け手の心象、語彙、根拠、状況(タイミング)などによって様々に変化する複合的なものとしている。

脚注

出典

注釈

  1. ^ このサイトでは、言葉は「誰が、誰に、何を言うか」によって印象や深みが変わるとしている。