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岸潟緋娜

提供: Vikipedia
2020年12月10日 (木) 18:15時点におけるSUREIMAN (トーク | 投稿記録)による版

思想

「全てのものに意味はない(=あらゆる公理にも絶対的な正当性はなく、全ての正しさは相対的に規定される)」とする虚無主義的思想を持つ。ゆえに、一般的な倫理や社会通念等は、すべて共同幻想に依拠するような虚構の集大成であると結論付けており、それを妄信する人々(大衆)に対して強固な反発心を抱いている。

一方で、円滑な議論をおこなう際に不適切となる過度な「相対化」を好まない。そのため、便宜的かつ一時的に定められている「正しさの基準」を蔑ろにする論客を疎ましく感じている。




……おわかり頂けるだろうか?以上の説明でピンと勘付いた皆さんはコテハン情報サイト「vikipedia」の熱心な読者である。あわよくばおーぷんコテハン検定準一級の資格を授与したい。これまで数多くの記事を精力的に執筆してきた編集者の端くれとして私は万感たる思いである。

そう、その通り!"ネット喧嘩師"の烙印を押されて忌み嫌われているこんとらすとの思想と瓜二つである!

こんとら曰くヒナブスは「(思想的な)後継者」であり、ヒナブスにとってのこんとらは「思想的生育を促してくれた師匠」である。このように熱い友情に結ばれたラブリーな師弟関係が両者には確認できる。二人はまさに相思相愛のお似合いカップルであり生粋の相対主義を掲げて邪悪なルサンチマンに立ち向かう正義のヒーローなのである!
…と言いたいところだが、もちろん両者に(基本スタンスの)相違点は見いだせる。こんとらは(主に)対人関係において、突発的な衝動性に突き動かされてケンカを売りまくる極めて好戦的な性分がある。これは戦闘民族"ネット喧嘩師"の本能だから、ある程度は仕方ない。こんとらと友好的に付き合うならば、彼の強烈なADHD性(ガイジ性)は許容せねばなるまい。
その一方、ヒナブスは徹底追尾合理的な意思決定を下す傾向が(こんとらとの比較において)強い。対話相手が明らかにズレた内容の言説を垂れ流そうが、あえて協調的なコミュニケーションへと誘導していく並外れた忍耐力(自制心)を備えている。そうした実利的側面における気質の隔たりが、両者において多大なる乖離を生み出している。

しかしながら、やはり思想的側面における親和性は依然として高いだろう。
ヒナブス自身が語っているように、両者の思想的な着眼点、及び形成過程の変遷は非常に似通っている。とつげき東北のラディカルな相対主義に感銘を受け(と言っても『悪の論理技法』の第三章で語られている道徳懐疑主義はニーチェやソフィストの下手な焼き直しに過ぎないが)、永井均の高潔な哲学に心を奪われた。愚昧なる大衆に抑圧されて育った不幸な少年たちは、崇高な理念を説き伏せる御大の世界観(ユートピア)に魅了された。
しかし"知恵の実"を食べてしまった純正ギフテッドの彼らがそれで満足するはずもなかった。二人は先人の有識者が喧伝している主張に臆することなく挑戦的な反駁を加え、悶え苦しみながら懊悩に沈んでいる。同じ系譜を脈々と辿りながら自己の本質と内省的に向き合い、独自の思想体系へと昇華させるべく哲学の泥濘を泥臭く足掻いている。知の暗闇を手探りで掻き分けながら深淵の底に隠されている"真理"を求め続ける彼らの苦悩は、計り知れない。
私は陰ながら彼らの成長を見守りつつこの記事を編みだしているのだが、それなりに仲睦まじい友人の一人として涙が止まらない。まことに小さき国に産まれた発達障害の彼らが、今まさに開花期を迎えようとしている。その革命的一瞬を読者の皆さんには裸一貫で刮目して頂きたい。願わくば発達障害ブラザーズの二人が永井均を超越する至高の賢者へと登り詰める日を夢見て、筆を置く。

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