甲申の戦役

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甲申の戦役
年月日:2016年3月3日
場所昆布が舞い踊るコテ雑
結果:エルティー優勢のまま引き分け  
指導者・指揮官
エルティー 近江
戦力
約30レス 約30レス  
損害
軽微 寄り目

甲申の戦役(こうしんのせんえき)は、2016年3月3日の夜半にニュース速報VIP板のコテ雑上で行われた、2006年のコテハンエルティーと2016年のコテハン近江による煽り合いである。戦いの名称は、2016年3月3日の干支が甲申であった事に因む。

概要

2016年に出現した近江(前:がんもどき)は精力的な活動の元、VIPのコテスレ界隈でいくつかの煽り合いを行い知名度を獲得したのちに、コテ雑へ活動の領域を広げた。高圧的ともとれる言動にコテ雑の陣営は辟易し、近江に対し煽りを入れようとする者や、中には近江の個人情報の特定を行おうとするコテハンも現れた(白濁マン事件)。エルティーは当初は静観の立場を取っていたが、やがて近江がコテ雑の領有権を主張し王のように振る舞うようになったため、煽り合いへの参戦を決意した。

戦いの推移

戦いはまずレッテル貼りの応酬から始まった。エルティーが近江の政治家願望を貶すのに対して、近江はエルティーがコテ雑に巣食う老害であることを主張した。徐々に超時空シンデレラ白濁マンの加勢がエルティー側に付くようになり近江が苦戦し始めると、最後にエルティーが近江に対し「寄り目なのでは?」とレッテルを貼ったことで戦いの趨勢は決まった。近江は後日、ツイキャスでの声による討論を要求したが、これは聞きいられずに終わった。

戦いの影響

甲申の戦役は近江に、エルティーに対する確実な憎悪を植え付けた。その後両者が直接対決する事は皆無であったが、のちのレク戦争が始まると近江はコテレク側の急進派閥としてコテ雑と敵対し、エルティーと看夜ケセとの開戦を望むようになった。

脚注


エルティーの参加した煽り合い
2006 - 2009年 プリマの戦い(07年4月) - シリウスの戦い(07年12月) - エルティー=テキサス戦争(07年12月) - ロシア戦争(09年6月) - VIPコテ三帝会戦(09年6月) - まきひとスレの戦い(09年7月) - 花屋の戦い(09年8月) - 刹那祭り(09年10月)
2010 - 2013年 セブン=エルティー戦争(10-12年) - くずゆの戦い(12年1月) - テンプレ戦争(12年2月) - 刹那p2流出事件(13年5月)
2014 - 2017年 イナリの戦い(14年6月) - 顔雑の戦い(14年9月) - エルティー=にゃぼろん戦争(15年7月) - 魚群戦争(15年8月) - 甲申の戦役(16年3月) - レク戦争(16年5月-) - 天才イケメン軍団のコテ雑侵攻(16年12月) - 第二次微妙草=エルティーの戦い(17年1月)