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「軍団絶対主義」の版間の差分

857 バイト追加 、 2018年4月19日 (木) 11:20
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===勃興期===
===勃興期===
2014年春に突如として勃発した本家における騒動は、インターネット界隈全体に波及した。それは無名の新興掲示板に過ぎなかったおーぷん2chも例外ではなかった。<br>
2014年春に突如として勃発した本家における騒動は、インターネット界隈全体に波及した。それは無名の新興掲示板に過ぎなかったおーぷん2chも例外ではなかった。<br>
保有するキャパシティを凌駕するほどに肥大化したおーぷん2chは、それと同時に増大を続ける無数の自意識を産み出した。これが俗にいう「コテハン」である。彼らは暴走する自己顕示欲をもて甘し、相互に対立構造を見出だすことによって存在意義を見出だした。<br>
保有するキャパシティを凌駕するほどに肥大化したおーぷん2chは、それと同時に増大を続ける無数の自意識を産み出した。これが俗にいう「コテハン」である。彼らは暴走する自己顕示欲をもて甘し、相互に対立構造を見出だすことによって存在意義を確保した。<br>
おーぷん2ch黎明期におけるコテハン界隈の共通意識は「闘争」に向けられており、それはリアルで奨励される牧歌的コミュニケーション論とは相対する概念である。また、現代における殺伐文化が正当化されるに至る根拠として、黎明期にみられた原初的な本質論が用いられることもある。<br>
おーぷん2ch黎明期におけるコテハン界隈の共通意識は「闘争」に向けられており、それはリアルで奨励される牧歌的コミュニケーション論とは相対する概念である。また、現代における殺伐文化が正当化されるに至る根拠として、黎明期にみられた原初的な本質論が用いられることもある。<br>
しかし、その時点におけるコテハンの帰属意識は自己に向けられており、「闘争本能」を大衆煽動的なイデオロギーとして昇華させる運動は必ずしも盛んではなかった。[[コテハンランキング]]がコテハン共通の扇情メカニズムとしてある程度は機能していたものの、それが集団に対して統一性を伴う組織であったか疑問は残る。<br>
しかし、その時点におけるコテハンの帰属意識は自己に向けられており、「闘争本能」を大衆煽動的なイデオロギーとして昇華させる運動は必ずしも盛んではなかった。[[コテハンランキング]]がコテハン共通の扇情メカニズムとしてある程度は機能していたものの、それが集団に対して統一性を伴う組織であったか疑問は残る。<br>
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2014年秋に[[拓也]]が設立した[[拓也軍団]]は、無秩序が常態化していたおーぷん2chを最初に統合した組織である。殺伐とした排他思想を統治機構として具現化してみせた、一つのモデルタイプであるといえよう。<br>
2014年秋に[[拓也]]が設立した[[拓也軍団]]は、無秩序が常態化していたおーぷん2chを最初に統合した組織である。殺伐とした排他思想を統治機構として具現化してみせた、一つのモデルタイプであるといえよう。<br>
2014年後期~2015年冬にかけてのおーぷん2chは、この拓也軍団と共に軍団絶対主義を熟成させていく道を辿ることになる。<br>
2014年後期~2015年冬にかけてのおーぷん2chは、この拓也軍団と共に軍団絶対主義を熟成させていく道を辿ることになる。<br>
拓也軍団の登場は、散発的で刹那的な煽りが一般的だったコテハン間の抗争を、より組織的に洗練された『戦争』へと発展させた。厳格で緻密な作戦行動に終始する拓也軍団を前にして、従来から続く少数グループは次々と淘汰されていった。コテハン達は自らの生き残りを模索した結果、拓也軍団に従属を誓い、また新たな軍団を設立する道を選んだ。<br>
拓也軍団の登場は、散発的で刹那的な煽りが一般的だったコテハン間の抗争を、より組織的に洗練された『戦争』へと発展させた。厳格で緻密な作戦行動に終始する拓也軍団を前にして、従来から続く少数グループは次々と淘汰されていった。コテハン達は自らの生き残りを模索した結果、拓也軍団に従属を誓い、又は新たな軍団を設立する道を選んだ。<br>
この軍団文化が定着していく過度期において、名無しの果たした役割は無視できないだろう。この頃のおーぷんVIPにおける名無しは、コテハンに対して無条件での排外的・差別的な感情を抱いていた。各種スレにおける一方的な迫害行為が横行し、それを管理者サイドも半ば黙認していた。<br>
この軍団文化が定着していく過度期において、[[名無し]]の果たした役割は無視できないだろう。この頃のおーぷんVIPにおける名無しは、コテハンに対して無条件での排外的・差別的な感情を抱いていた。各種スレにおける一方的な迫害行為が横行し、それを管理者サイドも半ば黙認していた。<br>
コテハンに対する増長した嫌悪感情は、次第にコテハン自身の自立意識を育む結果になった。名無しが一般的に支配する共同体からの独立を支持する論調が自然発生的に生まれ、遂にはコテハン自治権の獲得を標榜する者が現れた。<br>
コテハンに対する増長した嫌悪感情は、次第にコテハン自身の自立意識を育む結果になった。名無しが一般的に支配する共同体からの独立を支持する論調が自然発生的に生まれ、遂にはコテハン自治権の獲得を標榜する者が現れた。<br>
名無しを排斥することによるコテハン自治権の確立論は、一種のナショナリズム、コミュニタリアンに通底する理念であり、全体主義的な側面を内包していた。(一部研究者によれば、軍団文化は敵対する名無しや馴れ合いコテの存在によって成立する側面があることから、伝統的な全体主義ではなく権威主義的観念を用いるべきだとの指摘がある)。<br>
名無しを排斥することによるコテハン自治権の確立論は、一種のナショナリズム、コミュニタリアンに通底する理念であり、全体主義的な側面を内包していた。(一部研究者によれば、軍団文化は敵対する名無しや馴れ合いコテの存在によって成立する側面があることから、伝統的な全体主義ではなく権威主義的観念を用いるべきだとの指摘がある)。<br>
いずれにせよ、
いずれにせよ、コテハンは例外なく名無しと対立すべしという強硬論が軍団絶対主義の根底に流れていることは疑うべくもない。


===衰退期===
===衰退期===  
2015年秋に勃発した[[魚群戦争]]によって拓也軍団が壊滅し、それまで抑圧されてきた馴れ合い主義が脚光を浴びることになった。おーぷん2chにおける馴れ合いコテは潜在的に多数存在しており、軍団主義者による苛烈を極めた弾圧(ホロコースト)の終演と共に日の目を見ることになったのである。<br>
拓也軍団の消滅は、それと同時に軍団絶対主義がおーぷん2chにおける支配的な観念から脱落することを意味した。[[エルティー]]をはじめとした本家コテ雑勢力は、多様性の保証された新たな界隈秩序の形成を歓迎した。<br>




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