「拓也軍団幹部によるおんJ侵攻」の版間の差分

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| 年月日 = 2015年夏
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| 戦力A = 約500~800レス
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| 損害A = 拓也軍団武闘派派閥の権威失墜
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'''拓也軍団幹部によるおんJ侵攻'''は2015年の8月から9月にかけて[[おーぷん2ちゃんねる]]上で行われた[[拓也軍団]]と[[おんJ]]の一連の戦争である。[[魚群戦争]]の前哨戦となった戦いとしても知られている。
'''拓也軍団幹部によるおんJ侵攻'''(たくやぐんだんかんぶによるおんじぇいしんこう)は、2015年8月~9月にかけて[[おーぷん2ちゃんねる]]上で行われた[[拓也軍団]]と[[おんJ]]の一連の戦争である。[[魚群戦争]]の前哨戦となった戦いとしても知られている。


== 開戦前の状況 ==
== 開戦前の状況 ==
2015年夏。[[拓也軍団]]における実質的ナンバー2の地位を確固たるものとした[[八百屋]]は、同年8月に満を持して「[[武闘派派閥]]」を設立。自身の支持基盤をより盤石とするため、軍団内部における懐柔・扇動政策に乗り出した。派閥の基本方針には「[[名無し]]の駆逐」「本家武力制圧」をはじめとした、八百屋の極めて好戦的な理論的バックボーンが色濃く反映された。当時はまだ新米コテとしての評価しか持たない若き日の[[ゴッドブレス]]など、急進的な思想を持つ年齢の若い軍団構成メンバーが多数名を連ね、次第に拓也軍団内部の勢力図を大きく塗り替えていくことになる。
2015年夏。[[拓也軍団]]における実質的No.2の地位を確固たるものとした[[八百屋]]([[スレイマン一世]])は、同年8月に満を持して「[[武闘派派閥]]」を設立。自身の支持基盤をより盤石とするため、軍団内部における懐柔・扇動政策に乗り出した。派閥の基本方針には「[[名無し]]の駆逐」「本家武力制圧」をはじめとした、八百屋の極めて好戦的な思想的バックボーンが色濃く反映された。当時はまだ新米コテとしての評価しか持たない若き日の[[ゴッドブレス]]など、急進的な思想を持つ年齢の若い軍団構成メンバーが多数名を連ね、次第に拓也軍団内部の勢力図を大きく塗り替えていくことになる。


この動きに[[拓也]]の寵愛を一身に受ける[[青年]]は危機感を覚え、定例軍事報告会議にて八百屋の左遷と派閥の解体を強く主張した。しかし拓也本人としては、創立当時から何倍にも肥大化した軍団の指揮系統の維持に限界を感じ始めており、八百屋に対して統率権の一部を委譲することにやぶさかではなかった。激しい議論とレスバトルの末に青年の提案は棄却され、その数か月後に彼は失意の病死を遂げることになる。
この動きに[[拓也]]の寵愛を一身に受ける[[青年]]は危機感を覚え、定例軍事報告会議にて八百屋の左遷と派閥の解体を強く主張した。しかし拓也本人としては、創立当時から何倍にも肥大化した軍団の指揮系統の維持に限界を感じ始めており、八百屋に対して統率権の一部を委譲することにやぶさかではなかった。激しい議論とレスバトルの末に青年の提案は棄却され、その数か月後に彼は失意の病死を遂げることになる。
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== 戦争の経緯 ==
== 戦争の経緯 ==
第一次攻撃隊として、八百屋、ゴッドブレス、粘着テープらが一個大隊の兵を率いておんJに奇襲をかけた。攻撃隊の面々はすぐさま宣戦布告[[スレッド]]を立て、「ごんぬううううう」「はい論破!論破ごん!」といった支離滅裂なレスを間髪入れずに投下し、純朴なおんJ民たちのプライドに甚大な被害を与えるに至った。
第一次攻撃隊として、八百屋、ゴッドブレス、粘着テープらが一個師団の兵を率いておんJに奇襲をかけた。攻撃隊の面々はすぐさま宣戦布告[[スレッド]]を立て、「ごんぬううううう」「はい論破!論破ごん!」といった支離滅裂なレスを間髪入れずに投下し、純朴なおんJ民たちのプライドに甚大な被害を与えるに至った。


これを受けたおんJ特殊迎撃部隊は「[[だいじっこ]]」[[コピペ]]の連続投稿によって応戦。八百屋は「[[荒らし]]は養分ごん!」などと訳の分からない捨て台詞を残しつつ[[VIP]]に撤退していった。
これを受けたおんJ特殊迎撃部隊は「[[だいじっこ]]」の連続投稿によって応戦。戦いはおんJ各所に飛び火し業を煮やした名無し達が次々と武装蜂起していく事態に発展していった。形勢は明らかにおんJ名無し連合側に傾き始め、八百屋率いる遠征部隊は「[[荒らし]]は養分ごん!」などと訳の分からない捨て台詞を残しつつ[[VIP]]に撤退していった。


== 戦後の経緯 ==
== その後 ==
結局何も残せぬまま軍団本部へと帰還した八百屋を待ち受けていたのは、周囲からの激しい叱責と罵詈雑言の嵐だった。「お前なんで生きてんの?」「!aku○○」といった虐めは熾烈を極め、八百屋のメンタルはボロボロに打ち砕かれた。その後しばらくの休養期間を得て、失った権威を回復させるため、彼らは無謀ともいうべき[[魚群戦争]]へと突き進むことになっていく。
結局何も残せぬまま軍団本部へと帰還した八百屋を待ち受けていたのは、周囲からの激しい叱責と罵詈雑言の嵐だった。「お前なんで生きてんの?」「!aku○○」といった虐めは熾烈を極め、八百屋のメンタルはボロボロに打ち砕かれた。その後失った権威を回復させるため、彼らは無謀ともいうべき[[魚群戦争]]へと突き進むことになっていく([[拓也軍団による魚群スレ侵攻]])。
拓也軍団崩壊へのカウントダウンが、ついに始まりつつあった……。
 
栄華を極めた拓也軍団崩壊へのカウントダウンが、ついに始まりつつあった……。

2020年7月5日 (日) 08:42時点における最新版

拓也軍団幹部によるおんJ侵攻
年月日:2015年夏
場所おんJ全域
結果:拓也軍団武闘派派閥の敗北  
交戦勢力
拓也軍団
おんJ名無し連合  
指導者・指揮官
拓也
八百屋スレイマン一世
ゴッドブレス
名無し
戦力
約500~800レス 約1000~2000レス  
損害
拓也軍団の権威失墜 軽微

拓也軍団幹部によるおんJ侵攻(たくやぐんだんかんぶによるおんじぇいしんこう)は、2015年8月~9月にかけておーぷん2ちゃんねる上で行われた拓也軍団おんJの一連の戦争である。魚群戦争の前哨戦となった戦いとしても知られている。

開戦前の状況

2015年夏。拓也軍団における実質的No.2の地位を確固たるものとした八百屋(スレイマン一世)は、同年8月に満を持して「武闘派派閥」を設立。自身の支持基盤をより盤石とするため、軍団内部における懐柔・扇動政策に乗り出した。派閥の基本方針には「名無しの駆逐」「本家武力制圧」をはじめとした、八百屋の極めて好戦的な思想的バックボーンが色濃く反映された。当時はまだ新米コテとしての評価しか持たない若き日のゴッドブレスなど、急進的な思想を持つ年齢の若い軍団構成メンバーが多数名を連ね、次第に拓也軍団内部の勢力図を大きく塗り替えていくことになる。

この動きに拓也の寵愛を一身に受ける青年は危機感を覚え、定例軍事報告会議にて八百屋の左遷と派閥の解体を強く主張した。しかし拓也本人としては、創立当時から何倍にも肥大化した軍団の指揮系統の維持に限界を感じ始めており、八百屋に対して統率権の一部を委譲することにやぶさかではなかった。激しい議論とレスバトルの末に青年の提案は棄却され、その数か月後に彼は失意の病死を遂げることになる。

青年の失脚によって軍団内部における評価をほしいままにした八百屋。それとほぼ同時期に粘着テープが派閥に加わり、それらの諸要素を好機と捉えた八百屋はついにおんJへの武力侵攻を決意する。

戦争の経緯

第一次攻撃隊として、八百屋、ゴッドブレス、粘着テープらが一個師団の兵を率いておんJに奇襲をかけた。攻撃隊の面々はすぐさま宣戦布告スレッドを立て、「ごんぬううううう」「はい論破!論破ごん!」といった支離滅裂なレスを間髪入れずに投下し、純朴なおんJ民たちのプライドに甚大な被害を与えるに至った。

これを受けたおんJ特殊迎撃部隊は「だいじっこ」の連続投稿によって応戦。戦いはおんJ各所に飛び火し業を煮やした名無し達が次々と武装蜂起していく事態に発展していった。形勢は明らかにおんJ名無し連合側に傾き始め、八百屋率いる遠征部隊は「荒らしは養分ごん!」などと訳の分からない捨て台詞を残しつつVIPに撤退していった。

その後

結局何も残せぬまま軍団本部へと帰還した八百屋を待ち受けていたのは、周囲からの激しい叱責と罵詈雑言の嵐だった。「お前なんで生きてんの?」「!aku○○」といった虐めは熾烈を極め、八百屋のメンタルはボロボロに打ち砕かれた。その後失った権威を回復させるため、彼らは無謀ともいうべき魚群戦争へと突き進むことになっていく(拓也軍団による魚群スレ侵攻)。

栄華を極めた拓也軍団崩壊へのカウントダウンが、ついに始まりつつあった……。