主観も100個集まれば客観である

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主観も100個集まれば客観である(しゅかんも100こあつまればきゃっかんである)とは、主に固定ハンドルのコミュニティなどで用いられる慣用句[1]

ネット上における主観と客観

しばしばコテ評価煽り合いなどの場では「主観に偏っている」だとか「客観性が伴っていない」という批判がなされ、主観的な主張であるとして煽り叩きの対象となることがある。しかし、客観とは他の人間の主観が集まったものを概念として指す言葉であり、これらも主観から構成されるものであることは明らかである。故に「主義や考え方は客観的であるべき」という観念は誤りであり、多数の主観的な意見によって「客観性」という考え方である。

事例

仮にAというコテが、Bというコテを次のように評価したとする。

A「Bはなんかキャラがムカツクし、嫌いだから低評価だな。」

一般的には、このような評価は「客観性に欠けた主観的な意見」として扱われる。しかし、他のコテ達が以下のように

C「俺はB好きだよ、よく雑談スレで一緒に会話するしね」
D「私はBは普通ですね。特にあまり絡みも無いので。」

と書いていった場合、これら一つ一つの意見は確かに主観であるが、全てを総合的に見た場合には客観性が生まれる。

このように1つでは主観にしか過ぎない評価や主張も、数多くの主観が集まればそれはもはや客観性のあるものと扱われる、とする考え方である。

脚注